ふしみのブログ

英語と旅行のノート

ユーラシア横断旅行記 (1-2日目)

年始に旅行の写真や記録の整理をしていたら、5年前の2014年にシベリア鉄道に乗ったときの旅行記が見つかったのでここに2-3日ずつ掲載してみる。

シベリア鉄道は最東端のウラジオストクとロシアの首都モスクワを繋ぐ、世界一距離の長い鉄道路線 (9,289km) であり、直通列車に乗ると終点モスクワまで丸7日間、約160時間かかる。我々は途中のハバロフスクイルクーツクに立ち寄り、全10日間の旅程で旅をした。

今日に至っても相変わらずロシア入国にはビザが必要だし、他の旅行記を読む限りシベリア鉄道にまつわる事情は変わらないように思う。翻って自分はというと、立場はもちろん思い出す限り趣味嗜好は大きく変わったと思う。今や進んでボロボロの三等車の寝台に1週間閉じ込められようという気分になれるとは思えない。

しかし、5年前の自分のように物事を新鮮に体験できることは今でも多いし、大して変わっていないという気もする。なんにせよ「やってみないとわからないことがある」という自分の核となる信念を作り上げた体験のひとつとして思い入れの深い旅行であることは確かだ。

旅行計画を立ててから、自分の父もむかしシベリア鉄道に乗りモスクワ経由でヨーロッパを旅したということを知った。父が旅したのはソビエト連邦崩壊直前であり、経済情勢などは大きく異なったことだろうが、わざわざ鉄道でヨーロッパに行くという判断は当時でも「やってみないとわからない」という衝動に突き動かされなければできなかったことだろう。その心が知らず受け継がれていたことに恥ずかしいような誇らしいようなビミョーな気持ちになったのを覚えている。

旅程

1日目  

京成上野駅→成田空港の移動。たまたま隣りに座った大男のスーツケースをみると、持ち手のところにロシア国旗のリボンがついている。

彼はモスクワで合気道の師範をしているという。彼のさらに師範のタダセンセイという人が、90歳の誕生日ということで、お祝いの会と稽古のために日本に来て、ついでに観光などいろいろしていたらしい。

結局成田までの1時間くらい、ずっと英語で彼と日本やロシア、合気道とぼくのやっていた空手のことなどいろいろ話していた。とくにロシア語のあいさつや、タクシーの交渉について発音を教えてもらえたのが助かった。一発で覚えられるわけではないけど、一度でも発音の雰囲気を聞いておくと思い出すのも早い。思えば、ロシア人のロシア語を聞くのははじめての体験だった。

てっきりアエロフロートで直行するのかと思ったら、トルコ経由で帰るとのこと。その方が安いらしい。そうなんだ…。とてもいい人だった。彼の名前を書いてもらったけど、達筆の筆記体なので読めない。

成田で今回の旅の仲間と合流。今回は3人旅。

image



東京→ウラジオストクの移動。S7航空 (シベリア航空) とJALの共同運航便。成田からは北北西に1時間半くらいのフライト。多少上下に揺れてヒヤっとした程度で大した危険はなかった。「昔のロシアでは航空機が着陸するときに拍手をするらしい」という話があるけど、ここでは見られなかった。

経度の差はほとんどないが、ウラジオストクは平常で日本+1時間、夏時間で+2時間という差があり、東京より西にあるにも関わらず2時間進めなければならない。着いたのは19時だったがまだ日は高く、20時発の電車の中でちょうど夕日が見られるくらいだった。

 

image


ウラジオストク空港から市内への移動は、エアロエクスプレスという急行電車を使う。ウラジオストク空港はロシアにしては街の中心部とはかなり離れていて、だいたい50分くらいかかる。

 

image

このエアロエクスプレスののりばを探していた時に、タクシーのおっちゃんに絡まれていた。「のりばどっち?」「あっちだよ、でも次の電車は30分後だね」「そっか、ありがとう」「1500ルーブルで街まで連れて行くよ」「いや、結構」「でも電車でも1人300ルーブルだよ、安くない? (←ウソ。ほんとは200ルーブル)」やっとのことで離れてくれたと思ったら、「電車? こっちだよ」と道を示してくれたロシア人がいた。

「リサイクル部品」と書かれた大きな箱を持っていた彼の名前はアズマ。電車ののりばまで案内し、切符の買い方を教えてくれた上、電車のなかでもロシア語のことなどをいろいろ教えてくれた。日本語もとても上手で、聞くとロシアの大学を卒業したあと東京外大に留学していたらしい。

電車内で、アズマの「ロシア語わかるの?」の質問に全員沈黙し、やっとのこと出ててきた「…スパシーバ!」「ズトラースト…?」にアズマは心配そうな顔。。

アズマとは電車の出口で別れたのだが、エレベーターですぐに再会。ホステルの地図を見て、「行く方向に近いから案内してくれた、こっちだよ」とスマートフォンでマップを見ながら案内してくれた。すげーいいひと。「こいつらロシア語も全くわからないのによく来たな」という呆れもあったのかもしれない…。いや、きっとそれがほとんどだろう。



ホステルの正しい住所についたのだが、インターホンを押しても全く反応がない。アズマが電話してくれて、ロシア語での長い会話の後に、裏口みたいなところに連れて行ってくれた。そしてインターホンを押すと、開いた!わかんねーよ!まだSIMも買ってないし、ぼくら3人だけじゃ凍え死ぬところだった。ありがとう、アズマ。最後に連絡先と名刺を交換して別れた。

今のところ、優しいロシア人にしか会ってない。幸先の良いスタートといえるかもしれないが、これから騙されたりしないか心配。

ちなみにウラジオストクにはDyDoの缶の自販機がいろんなところにある。「さらっとしぼったオレンジ」とか、ある。70P=210円。

image



無事ホステルについて、晩御飯に向かう途中、紙でできた熱気球を飛ばす遊びをしてる人がいた。熱源はでかいランプみたいなのを使っていて、けっこう豪快に炎が上がってる。

image



なんだかよくわかんないけど超楽しそう。おばちゃんはテンションが上ってロシア民謡を歌ったりしてる。ぼくでも聞いたことがあったので有名なものなのかもしれない。

途中、熱気球が右奥の木にひっかかって、燃え移るんじゃないかと心配していたが彼らは気にせず次のやつを飛ばしていた。

 

image

しかも、3mくらい隣で(全く反省してない)。これも、あやうく隣のお店に放火してしまいそうになってたが、すれすれで風を捉えて大通りの方へ。行き交う車をかわしながら無事飛び立っていった。拍手喝采

今日は国際婦人デーという祝祭日らしいが、土曜日なので月曜に振替らしい。でも、街のタワーのほうでは花火が上がっていたので、お祝いは今日やっていたのかもしれない。


晩御飯は、ボルシチ、ピザ、鮭のステーキ。まあ、特筆すべきことはなし。ボルシチは日本で自分で作ったやつとそう変わらなかった。3人で1060P

 

image
image


ホステルは “Optimum Hostel”、1人700P。とても綺麗で助かった。
係のお兄さんが英語がほとんど使えなかったけど、Google翻訳のアプリを持ち歩いていて、何かあるたびに「ここに打ってくれ」とか、発音機能で教えてくれたりして、彼のコミュニケーション器官のひとつになってたのが面白かった。

わりと24時間営業のお店やさんとかある。

image

帰りに寄った食料品屋さんにあった、冷凍ペリメニ(餃子)。中国の餃子が入ってきたのかな? 普通に美味そう。列車の中はお湯フリーだし明日買うかも。

 

image

2日目

ウラジオストクの朝。

 

image

皆が起きだす前に散歩してきた。気温はマイナス13度くらい。思ったよりは寒くなく、顔以外はほとんど寒さを感じない。

もってきた装備は、上がヒートテック+綿シャツ+セーター+ダウンジャケット+ストームジャケット(スキーウェア)。下はタイツ+ジーンズ+スキーウェア。室内だと暑いので、1枚ずつ脱ぐくらいがちょうどいい。イルクーツクまでは-15度くらいだが、モスクワ以降は東京くらいの気温になるので、普通の格好で十分そうだ。

クローバーハウスという、ウラジオで一番大きなショッピングモールで朝ごはん。といっても、地上4階地下1階で、地方のジャスコくらいのサイズ。

image



オムレツ、野菜、パン。平たい餃子的なやつがうまかった。これでだいたい125P=400円くらい。

地下は食品売り場になっている。ここで、列車の中で食べる食糧を調達する。ウォトカも小さいやつを買った。写真はウォトカ売り場。

 

image

ウラジオは現役の軍港であり、観光名所も要塞、軍艦、潜水艦と軍事関係の施設ばかりである。若干飽きてきて、これから先が不安になる。

 

image

 

image

スポーツ湾という日本海に面した湾が凍っていたので、歩いてみた。

image


これがけっこう楽しくて、列車に遅れそうになってかなり焦った。

湾では道具を使って穴を空け釣りをしている人がたくさんいた。とはいえほとんどかからないらしい。気の長い遊びである。

 

image


1時間前くらいに湾を出て、ホステルで荷物を受け取り、着いたのは列車発車10分前。焦りながらも、いちおう記念撮影。駅で写真を撮ると怒られるという話は今となってはもうないらしい。

image


17:09に列車が出発。ウラジオストクからサンクトペテルブルクまで、地を這う1万キロの旅が始まった。

image